水村美苗「日本語が滅びるとき」
追記2008.11.14
図書館で
ところで、最近読んだ文章で強い衝撃を受けたのは、新潮9月号に掲載された水村美苗さんの「日本語が滅びるとき」という長篇評論(280枚)でした。これについては11月初旬に本として出版されるとのことなので、そのときに感想を書きたいと思っています。
出典
追記
「滅びる」じゃなくて「亡びる」(引用した梅田さんのエントリも修正されてた)。
気が付いたら書籍化してて、amazonで1位になってた。このページ経由で買った方も複数名。
自分も少し読み始めた。アイオワ大学のIWPに参加したエピソード部分は読んだ。その手の話が自分には目新しかった。1ヶ月を「一ト月」と記す感覚が何に由来するのか・・・、「貨幣論」岩井克人の嫁さんであることは読み進めることに暗雲が立ち込める要因とならないか・・・
岩井・「貨幣論」・克人、柄谷・NAM・行人、『批評空間』という名前に対して、あまりいい印象を過去の読書経験から持ってない人は読み解くのに結構難しい本になるかもしれない。
更に追記
読む手を止め、はてな界隈の反応を見る。
いわば彼女は「存在しない敵」を相手に独り相撲を取っているだけなのだが、その過程でうっかりと本音を吐いてしまう。
(2008-11-12 - 【海難記】 Wrecked on the Sea)
『批評空間』で毎回のようにやってた「共同討議」がほんとこういう雰囲気。
「腹が立つ」(by柄谷行人)という活字を何度も眺めた。
このエントリ読んで、『批評空間』で水村氏が小説連載やってたのを思い出した。
はてなで話題の本になった『日本語が亡びるとき』はどうやら次の本を並行して読むと水村氏の議論を冷静に、読んで損したと思うことなく、だまされること無く、読むことができるようだ。
高島俊男さんの『諸君』のものは水村氏の「日本語が亡びるとき」の『新潮』掲載時のものを5ページにわたって論じたものらしい。しかもタイトルが
「日本語が亡びる?」(ソース)
らしい。仕事が終わったらまずこれを読む。
一刀両断、スパッと日本語の限界を悲劇を解説
漢字の良さ
普段使っている文字について考えさせられる本
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クンデラの評論のなかでは
挑発に賛同する市場?
高島俊男「日本語が滅びる?」読んだ
今本屋で売ってる『諸君』で高島俊男さんが「退屈老人雑録」という連載をしてて、連載12回目が「日本語が亡びる?」というタイトルで、水村氏の水村氏の「日本語が亡びるとき」の『新潮』掲載時のものを主題にしてる。中身は水村氏の文章を読んで啓発されたことを書いているという内容なので、批判しまくるという論調ではない。
例えば、普遍語と現地語の区別と普遍語と現地語には上下関係がある、と水村氏が言ってることに啓発されて
いっぽう女は、「万葉がな」を大胆にくずした「かな文字」で、立派な「現地語の文章」を書いて後世にのこした。つまり日本のばあいは、<現地語>が<普遍語>を圧倒しちゃった。女が男のはるか上へ出た。こういうことは世界の歴史でも例がないんじゃないかしら
とか
こんにちの日本文学氏に出てくるのは、その時々の知性の中心から見れば傍流のものばかりである。語り物とか俳諧とか浮世草子とか――。中心が書いてきた普遍語の文章は何も出てこない。
<普遍語>認定されたラテン語と漢語(文言というのが正しいらしい)について
ラテン語のばあいは、かつてそれを話していた地域、時代があり、やがて書きことば専用の高級言語になったようだ
支那のばあいは、「文言」は最初から書きことばであって、どこまでさかのぼってもそれが話されていた地域や時代はない。
しかし文言の単語や表現が知識人の会話に出てくることはいくらもある。「あの本のあの個所に出てくるあれ」という共通の知識にもとづいて――。
そして
だから<普遍語>はなによりもまず「学問の言葉」、である
日本のみは、文言を受け入れながら普遍語への叡智の集中に寄与できなかった。
高島さんが不満(=書籍化時に考えて欲しいこと)として書いてることは僅か
- 冗漫(アイオワ大話は主題を考慮すれば長すぎ)
- 「個々の部分もごらんのように、重複が多く引用しにくい」
- 文章が荒っぽい。相当書きとばしたようである
書きとばした文意不鮮明・真意のはっきりしないものを料理するのは無理だから読みながら思ったことを書いた、という感じなんだなと思った。
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- //d.hatena.ne.jp/RPM/20081113/1226515040" target="_blank">財布の中の1890円が亡びるとき - インターネットください:はてな界隈での祭のまとめ。文章巧い。腹抱えた。
追記:2008.12.09
2章まで読んだ。アンダーソンの議論の紹介がおかしい(こんなこと言ってたっけ感が増幅)ので、中断して『想像の共同体』を再読することにした。