以下斜め読んだ内容

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ポール・グレアム『ハッカーと画家』を再読

『ハッカーと画家』(asin:4274065979)を再読してみた。1回目のときはよくblogで話題になってるということで読んでみてそのままだったが、改めて再読してみるといま自分が気になっていることを反映してか、印象に残る箇所が変わった。1年後に再読したらまた違う箇所に注意がいくのだろう。
今回はプログラムやハックのことよりもデザインに関するポール・グレアムの所見が印象に残った。いわゆるデザインの話ではなく、良いものとはどういうものか、良いとはどういうことかについてポール・グレアムの所見に刺激を受けた。最近読んでる深澤直人の本から読み取れる洞察と共通するものもあって、分野は違うけど彼らの到達した洞察のもつ普遍性に触れることができて楽しい。

最も偉大な作り手たちは、ある種の滅私状態に達するのではないかと私は思う。彼らは正しい答えを知りたいだけなのだ。そしてもし、答えの一部が誰かによって発見されていたのなら、それを利用しない手はない。誰かの仕事を借りても自分のビジョンは曇らないという十分な自身があるのだ。p.147

私がアートスクールで学んでいたとき、学生は何を置いても自分のスタイルを確立したがっていた。だが、ただ良いものを作ろうとすれば、必然てきんそれを他とは違ったやり方でするようになるのだ。ちょうど歩き方が人それぞれであるのと同じように。ミケランジェロは、ミケランジェロのように描こうとしたわけではなかった。ただうまく描こうとして、その結果どうしてもミケランジェロのように描いてしまったのである。p.148

ユーザが必要なものイコールユーザにとって良いものじゃない。ユーザは自ら欲するものを知らないという主張は、留保が必要だが真実を含んでる。かといって、ユーザが「自分には必要だ」と言っていることを考慮しないでいいということでもない。

私も最近iPodを手に入れた。それは、ただ良いというだけじゃない。びっくりするほど良いんだ。何故びっくりしたかというと、それは自分でも気が付いていなかった機体を満たしてくれたからだ。フォーカス・グループじゃそいういう期待を見つけることはできない。ただ、優れたデザイナーだけに可能なことだ。p4

それでも、ユーザにうまく使ってもらえるものを作るというのは、ユーザの言う通りに作るということとは違う。ユーザはすべての選択肢を知っているわけじゃないし、本当に欲しいものが何かということについてはよく間違う。これは医者の役割によく似ている。患者の症状だけを診ていては駄目だ。患者が症状を話している時に、何が原因となているかを見極めて、それを手当てしないと。p.220

良いデザインを得るにはユーザに近づき、そして常にユーザの側にいなくてはならない。実際のユーザに合わせて常に考えを調整しなければならない。ジェーン・オースティンの小説が良い理由のひとつは、彼女が作品をまず家族に読んで聞かせたからだ。だから彼女は自己満足的な芸術ぶった風景の描写や、もったいぶった哲学的考察に堕ちることがなかった(もちろん彼女の小説に哲学はある。だがそれはお札のようにストーリーの上にぺたぺた貼られているのではなく、ストーリーの中に編みこまれているのだ)。そこらへんにある「文学」小説を開いて、自分の書いたものの振りをして友人に読み聞かせるところを想像してみたまえ。きっとそれがどれだけ読み手の負担になることか感じられるだろう。p.222

あなたが間抜けのために何かをデザインしているんだとしたら、間抜けにとっても役に立たないものをデザインすることになるのが落ちだろう。p.221

醜いものを許せないだけでは十分ではない。どこを直せばよいのを知る嗅覚を得るためには、その分野を十分に理解していなければならない。しっかり勉強しなくちゃならないんだ。だがその分野で熟練者となれば、内なる声が囁き出すだろう。「なんてハックだ!もっと良い方法があるはずだ」この声を無視してはいけない。それを追求するんだ。厳しい嗅覚と、それを満足させる能力。それが偉大な仕事のためのレシピだ。p.150

ソフトウェアは、それを見ればすぐに使い方が分かるものであるべきだ。だから、良いソフトウェアを書くには、ユーザがどれだけ何も知らないかということを理解する必要がある。ユーザは何の準備もなくやって来て、いきなりソフトウェアに向かい、マニュアルなんか読もうともしないだろう。ソフトウェアはそういう人が期待するように振る舞うべきだ。p.35

他印象に残った箇所。

いじめは問題の一部にすぎない。もうひとつの、おそらくもっと深刻な問題は、私たちには打ち込めるものが何もなかったということだ。p16

多くの分野で、一見簡単そうなことは練習によってもたらされる。練習の効用とは、意識しなければできなかった事柄を無意識のうちにできるようにすることなんだろう。実際に身体を鍛えなければならない場合もある。熟練したピアニストは、頭から手に信号が送られるよりも速く音符を弾くことがでいる。同じように絵描きも、練習の後には、人が自然にリズムを取るように視覚の認識がそのまま手に流れるようになるのだろう。
いわゆる「没頭しているとき」というのは、脊髄がすべてを制御下に置いているときだと思う。脊髄はためらわないし、意識をより難しい問題に使えるように解放してくれる。
pp.144-5

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち
ポール グレアム
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おすすめ度の平均: 4.5
5 痛快です
5 案外、歴史的書物かもしれない
5 エンジニアを組織、管理している立場の人間にぜひ読んでもらいたい。
5 共感!!
5 開発疲れしたあなたに